【blog】喋りたい欲求について
ということで。
今回の『ギャンブラーのための終活入門』のツアーでは、各公演終了後にゲストの方をまじえてのアフタートークを開催することにしました。
これは、とても大きな変化です。
そして、こうしてブログっぽいことを書いていこうと思ったことと、きっとリンクしてるだろうなあとも思っておりまして。
ここ何年かずっと、RoMTの公演ではアフタートーク的なことをして自分が喋るのを意図的に避けています。それはなんか、「答えあわせ」みたいな感じになってしまうのがどうもなあ、、、とついつい思ってしまうから、という明確な理由があります。作品を観てくださった方々それぞれが、どんな瞬間も自由に捉えて想像して、願わくばその時間と経験を楽しんでほしいと常に願ってます。演劇を観るのって、自由かつ多様であるから面白い。一方、そうした自由で多様な楽しみ方のひとつとして、「どういう意図で作っているのか?」「あの場面のあの演出はどういう意味なのか?」ということを聞きたい!とか、正確に理解したい!という気持ちは絶対にあるし、自分が観る側になったときのことを考えても、それはすごく自然なことだと思えます。が、答える側になったときには、どうもうまく整理ができなくてしっくりこないなあ、、、という感じが常にありました。
まだ20代の頃、アートマネージメントを学んでいた友人からこんな話を聞きました。
「美術館に絵が展示してある。その横に画家名/作品名/描かれた年号だけが書いてある場合と、その絵についての解説が(イヤホンガイド的なものも含めて)掲載されている場合がある。で、そのどちらの方が観る人たちにとって望ましいかを考えてみましょう、、、という課題が出たことがある」、と。
この話、とても印象に残っていて、それ以来展覧会やコンサート、もちろん芝居を観に行く時に度々考えるようになりました。『芸術は自由である』というとき、それはもちろん何の規制/既成にとらわれずに表現できること、でもあるのだけれど、それと同等もしくはそれ以上に大事なのは、観る側聴く側の自由、つまりその表現に触れるとき「どんなことを想像し、感じ、どんなふうにアクセスしてもよい」、という自由の方なんじゃないかな。
可能性が豊潤にある、っていう状態って、一番素敵なんじゃないかな。だからこそ、特にこの数年、可能性を限定してしまうことへの恐怖感が常にあります。・・・うん、恐怖感、っていう感じがぴったり。意図とか意味付けを自分自身してしまうことで、誰かの想像する自由を奪ってはしまわないのかな、、、という、恐怖感。演出しながら、意味付けをできるだけ回避してその演劇的空間/演劇的時間をいかにオープンなままに保てるか、ということばかり考えてる気がします。
でもだからって別にアフタートークじたい絶滅せよ!と思ってるわけでは全然なくて、自分の公演だって出演者含め他の方々があれこれ自由に喋ってもらうのはとても良いと思ってますし(『ゴーストシティ』のときはそうしましたね。あのスタイルは楽しかった)、あるいはたまーにゲスト的にトークの場に呼んでいただいたりして、そういうときにあれこれと自由に喋るのはすごく好きなんですけど。いやむしろ得意なんですけど、ほんとは。
でも今回『ギャンブラーのための終活入門』の公演準備を進めながら、今回の公演、なんだか妙に、アフタートークとかしていろいろな方々と喋りたいなあ、、、という気になってきた、わけなんです。
なんでかなあ、と考えてみると、、、まあ、思い当たるところはいくつかあって。
ひとつは、結局のところ、「いろいろと知らないことを知りたい」ということなんじゃなかろうか、と。
表現なんて理由はいつだって後付けで、そこをそうしたのは、ただそれが正しいと思ったからで、自分の《勘》の範疇でそのようなイメージができてしまったからで、それにあとから整合性をつけるんだけど、最終的に表現されたものを観て自分でもまったく意味がわからないことなんてしょっちゅうある。だからこそ、作品について誰かに、あるいは誰かと、喋ってるうちに、「あ、そういうことだったのか」って自分で気がつくことって、いやいや実はかなり楽しいじゃないですか。それも「知らないことを知る」ってことになるのかな、と。
そしてもうひとつ大きな理由は、どうしたってこの『ギャンブラーのための終活入門』という作品そのものが、「語りが継がれていく」ことを欲しているから、だと思うわけです。
「語りが継がれていく」
うん。そういう作品なんだと思います。そこに核がある。そのことに説得力がなければ、作品を十分に表現したとは言えないだろうなと思います。
とても困難な要求ですが、だからこそ楽しくもある。
・・・まあ要は、演出の一環、っていうことですね。
というわけで、今回のツアー、各公演終了後にゲストをお招きしてのアフタートークを行います。
話が多岐に渡って、みなさんに楽しんでいただけますように。
(田野)