公演概要
2016年度第一弾!
学校における芸術鑑賞の新しい形・・・
現役高校生たちとプロの俳優たちが、“ガチ”でぶつかりあうシェイクスピア上演!
海城高校 × シェイクスピア
『ジュリアス・シーザー』
《戯曲》ウィリアム・シェイクスピア 〜 小田島雄志訳(白水社版)による
《演出》田野邦彦(青年団演出部/RoMT)
「高校1年生の芸術鑑賞会で、シェイクスピア作品を上演することってできないでしょうか?」
今回のお話を海城高校さんからいただいたのは、もう結構前のことです。
あまりにも予想外の角度から投げ込まれた直球。
そりゃもうビックリしてしまったのですが、同時に、いや相当にワクワクしました。
その後「どんなことができそうかな?」と、先生方とお話しをしながら考えるうち、
・・・っていうかどう考えたって、分かりやすく翻案したりすることより、
高校生たちがシェイクスピアのセリフを「ガチで喋ってる」のが一番面白いじゃん!
と、そこは頑固で一途に思ってたところ。
真っ先に脳裏に浮かんだ戯曲がありました。
それが、『ジュリアス・シーザー』でした。
「さあ、身をかがめ、手をひたそう。千載ののちまでも
われわれのこの壮烈な場面はくり返し演じられるだろう、
いまだ生まれぬ国々において、いまだ知られざる国語によって。」
・・・例えば、400年と少し前、シェイクスピアが書いたこのセリフは、
「まるで予言だったの?」と思われるほど鮮やかに、そしてしなやかに、
今回、海城高校の現役1年生によって語り演じられることになります。
既にそれだけでも十分に、シェイクスピア戯曲ならではの、
時間と場所を軽々と越えてくような普遍性が感じられるし、
なんとなく、うん。シェイクスピアに対する正しい返礼のような気がします。
奇しくも今年2016年は、シェイクスピアの没後400年の記念イヤー。
シェイクスピアの遺したもっとも有名な歴史劇である『ジュリアス・シーザー』を、
今回、高校生たち、プロの俳優たち、そして先生たちと一緒に上演することになりました。
いやしかし、何度も何度も戯曲を読みながら、改めて思うことがあります。
「・・・400年経っても、男の子たちって、ほんとなんも変わっちゃいないよね。」
と。