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【出演者インタビュー】太田宏(青年団)

経験者として、最年長として俳優陣を引っ張る役者、太田宏。彼の語りには、いたずら好きでやんちゃな少年の面影と、それを見つめる大人の色気が漂っている。一度彼が語り始めると、セピア色の風景がそこに立ち上がる。そんな画を眺めながら、コーヒーを、もしくはウィスキーを飲みたくなってくるのだ。一方彼はダイアローグをメインにした劇団、青年団の俳優である。そんな彼がなぜ、一見正反対に思われる「一人語り」をやろうと思ったのか。そのルーツには、フランス語での芝居経験と、話し言葉に対する彼なりのこだわりがあった。

 

インタビュー・テキスト 松尾元(ドラマターグ)

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♦︎ 太田宏 ♦︎

青年団所属。「東京ノート」「ソウル市民」「冒険王」「新冒険王」

「さよならだけが人生か」「働く私」など平田オリザ作品に多数出演。

青年団国際交流プロジェクト日仏合同公演「別れの唄」「愛の終わり」等に出演、

青年団以外でも「ヒロシマモナムール」(2010/11)「Larmes 」(2017)に出演するなど、

フランス人演出家との仕事も多い。RoMTは「ここからは山がみえる」(一人芝居)

「十二夜」「夏の夜の夢」「ギャンブラーのための終活入門」(2016)などに出演している。

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 田野さんと二人で作り続けていた時と比べ、今回俳優が他に5人いて、みんなで色々話しながら作っている。そんな環境の中で改めて作り直していて、率直に今どう感じていますか

 

太田 やっと友だちが出来たなって感じがしていますね。面白いことやっているのは間違いがないと思っていまして、ただ、なかなか劇的に広がりを持たせることができず何年かやって来ました。その間ずっと、友だち、というか仲間、同志みたいな、俺たちが面白がっていることを一緒に面白がってくれる人たちを探していた所、今回稽古場に俳優がたくさんいて、松尾くん(ドラマターグ)や臼杵くん(制作)がいて色々言ってくれて、やっとそんな人たちに出会えたって感じがします。渦が大きくなってきているなぁと思っていて、だからより一層実験したいなぁって感じがあります。本当に面白いかどうかも含め。

 

– 今のところ感触はどうでしょう

 

太田 感触としてはいけそうって感じしていますね。でも、まだ確信じゃなくて予感かなぁ。

 

– この企画の始まりについてお伺いしたいのですが、最初の1人語り公演、「ここからは山が見える[1]」はどのような流れで企画が始まり、進んでいったのですか

 

太田 ちょうど俺が青年団の企画で、フランスに行って、フランス語の芝居をし始めた頃、そこで出会った芝居が結構刺激的だったことが、最初のきっかけですね。言葉がわからず、ストーリーについて行けない中で、自分は台詞を言わなきゃいけない。日本語だと実感出来るところも実感ないまま「それはいい、これはダメ」と判断されて。本当に暗闇の中進むみたいな感じでずっと芝居していましたね。そんな最中、フランス人の俳優を見たときに、ふと、フランス人の俳優、外国人の俳優、もっと大きく「役者ってなんだろう」みたいな事を考えるようになってきて。

 

– フランス人の俳優に見た魅力は、日本人の俳優とはまた別のものだったのですか

 

太田 驚いた事がいくつかありまして。たまたま俺が出会った人がということなのかもしれませんが、例えば、発声とかアップをしなかったとか。その中で1番印象的だったことが、ストラスブールで、国立の演劇学校の卒業公演を観た時の事でして。そこでの学生の芝居があまりうまく思えなくて。「あ、言葉わからなくても上手い/下手ってわかる」って実感があったのです。もちろん、それが合っているかはわからないのですが。

ただ一方で、若い子がパッとモノローグに入った時は、それまでとは打って変わって、台詞が抜群に聞こえてくる感じがして。それは意味がわかるって感じとは少し違っていて。どちらかといえば、言っていることを俺が聴こうとしに行っている状態になったって意味です。つまり、意味はわからないのに、凄く話しかけられている気にさせられました。その瞬間が凄く印象的で。「俺今フランス語聴いている!」って感じを受けました。

 

– それは日本人のモノローグには感じないようなものだったのですか

 

太田 残念ながら、あんまり面白いと思えるモノローグに出会った事がなくて。だからそもそもモノローグには興味がありませんでしたね。

 

– 青年団はダイアローグを主体とした劇団ですからね

 

太田 そうですね。そして俳優として、そこに自信を持ってしました。その上で、どうすればダイアローグが下手に見られないかを凄く考えていました。下手に見られると、演じ手が役者自身に、つまり嘘っぽく見えちゃって、作品自体にお客さんが注目できなくなってしまう。だからむしろ、中台詞、長台詞になったら「どこに向かって喋ればいいの。こんなに普段喋らないよ」って違和感と戦っていたりもして。

 

– フランスで見られたその卒業公演は、ダイアローグとモノローグがどちらもあるものだったのですね

 

太田 そうですね。だから、こっちを向いてモノローグになった瞬間上手いって感じて。それがスタートかなぁ。ただ自分がすぐにやるとは思っていませんでしたね。

 

– そのタイミングで田野さんから企画のオファーがあったのですね

 

太田 そうですね。田野から2時間の1人芝居あるからやらないかってメールが来て。じゃあやってみるかって返事をしました。まさかあんな大変だとは…。「ここからは山が見える」がイギリスで上演された時は90分くらいだって聞いていたので、案外2時間くらいで収まると思っていて。それでやってみたら最初4時間半…。最終的にも3時間20分。

 

– その時稽古はどのような形で進められたのですか

 

太田 もう手探りですよ。何やっていいのかわからない。稽古場には田野しかいませんでしたが、そもそも演出家に向かってやりたりたくなかったので、架空のお客さんを想定してやっていて。そうするとすぐに露頭に迷って。何しているのだろうって思いましたね。ちょっとでも余計な思いが入ってくると、リズムが狂っていく。だから1ページ目に1~2週間必要で。ただ、普通の演劇の稽古時間くらいしか取ってなかったから、もう死にましたね。本当に死んだ。通しも出来ないし、いつも詰まり詰まりだったからプロンプ入れてもらうのだけど、それじゃリズムが狂うから結局台本持って。そしたらいつまでたっても台本離せなくて。いつか入るだろうって思いながら、1日20時間くらい台本読んでいましたね。明け方大体4時くらいに気を失って、でも2時間で眼が覚めて。またぼんやりしながら台本に向き合って。いろんなやり方試していました。台詞の単語書き出したり、線を引いたり、それでも全然…。

 

– それが「いける」という感じになったのはいつ頃なのですか

 

太田 再演の時ですね。それも途中。初演は色んな手を使って、どうすれば台詞覚えられるか、みんなで考えていました。照明さんが、「あなたの無意識に向いている向きに明かり入れるから、それがついたらこの台詞」とか、音響さんが「この音聞こえてきたらたらこの台詞」って言ってくれて。もう完全にパブロフですよ。それでも飛んじゃう。それでプレ公演は完全に真っ白になって。30秒から1分くらい。もうダメだって多分みんな諦めていましたね。俺も「ああもうダメだ、芝居辞めよう」って。そう思った瞬間台詞が出てきて。それで何とか公演終わって。それで帰り道、車に俺、田野、音響さん照明さん4人で乗っていて。誰が検索したか忘れたけど、ある批評家の方がTwitterで、ちゃんと見てくれた感想書いてくれた呟きを見つけて。「やろうとしている事がわかる」みたいな事。もうそれでいい大人4人とも泣いちゃって。俺はもう涙止まんなくて。でもそれでもやれるとは思っていませんでした。その後も毎公演毎公演どっか飛んで。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– それまで似たような経験をしたことはあったのですか

 

太田 実は前にも一度セリフ飛ばしたことがありまして。「別れの唄」[2]というフランス語の芝居で。それがフランス人の前で始めてやった芝居。アルファベットも知らない段階だったから、もう音で覚えて何とか初日に間に合わせた感じで。たまに聞いた事がない音が入って来て混乱はあったのですが、もうそれもパブロフで、この台詞来たらこういう音で返すってやっていました。そしたら最後の1番しんみりするいい台詞の時、何かの影響でどんと止まって。「ヤバイ」って思ったけどもう音で覚えているからアドリブで繋ぐとかも出来なくて。もう言い切っているから前にも戻れない。俺が話すところだから周りも救えない。飛ばすことも出来ないし。うわぁとか思って。30秒くらいだったと思います。でも自分にとっては永遠ですよ。その時に「もう辞めよう」って。本気で初めて思って。そう思った瞬間にふと台詞が出て来た。そしたら終わった後オリザさんが、「流石にダメかと思った」って言っていて。他のスタッフの人も「もう台詞出た瞬間涙が止まらなくなった」って言ってくれたりして。未だに「ここからは山が見える」と「別れの唄」のあの瞬間は忘れられないですね。

 

– 俳優の台詞が出ない瞬間を見ている時って、もちろんそれは事故なのですけど、それでもどこか「頑張れ」って空気をお客さんが共有する時がありますよね

 

太田 そうですね。それがやっぱり、今に繋がっています。「ここからは山が見える」の初演はそんな忘れた間が結構あったこともあり、すごく長くて。物理的にも20分くらい長かったですね。でも、案外お客さんは聴いてくれるってことが、唯一の発見でしたね。必ず何人かすごく聴いてくれて。それで終わった後によかったって言ってくれたり、感動して泣いてくれたり。でも俺はただ思い出そうとして必死に喋っているだけで。「こここう言ってやろう」みたいなプランとか何にもなくて。もちろん演出はつけられていましたが、それは演技プランというより演出プランでした。もうお任せ状態。だから逆に、「なんで今泣いたのだろう」っていうのが顕著になって。それで、「ああ、聴く人はちゃんと聴いてくれる」って思えて。それが面白くて、だから再演やろうって話が来た時、やろうって思うことが出来ました。

 

– それで再演が行われたのですね。では、先ほどおっしゃっていた、再演の時の「いける」という感覚は、いつ頃、どのように生まれたのですか

 

太田 一度お客さんの前で話しているから、観客を想定が出来るようになって。こういう風に人は俺を見ているって。でも稽古場に他の人が来るまではなかなか難しいところがありました。

 

– 台詞は覚えていたのですか

 

太田 引っ張り出した感じですね。場所と一緒に覚えているから、春風舎(初演の会場)であの照明であの装置があれば思い出すルートが見つかるというか。ただ再演でツアーに行った時は場所が変わるから、ドキドキはしました。そこで、場所が変わってもブレないようにする方法を見つけようと思いました。例えばドアの代わりにドアっぽいところを探すとか、自分の中で、物語上の人物がやって来る方向を変えられるようにしたとか。それもあってより一層、「台詞は自分の状態で出て来る」っていうことを実感したのです。呼吸のタイミングとか、そういうものの総合的なやつなのですが。

 

– そういった台詞と状態の関係というのは、青年団で演技をされている時とは違ったのですか

 

太田 いや、俺にとっては一緒でしたね。青年団は固定の場所で、出来るだけ本当の装置や置道具を使って稽古をやるので、それらの手触りとかで思い出すとか、視界で思い出すみたいな回路を持ってやっていて。例えば、人の立ち位置とか。だから逆に違和感に気が付く。変な意識の散り方して、それで立ち位置違うなって気が付くとか。だから回路としては全く一緒です。

 

 

– ただ語りの場合は、常に変わる要素としてお客さんが入って来ると思うのですが、それはどのように処理されたのですか

 

太田 そこはやっぱり大きく違いましたね。だから、自分の中で180度回路の使い方を変えて。今までは外部情報で安定させようとしていたものを、内部情報を使って安定させようとすることにして。人は変わるからしょうがない。だから俺の内部から提出する時の熱量、圧力、勢い、喜びみたいなものを固定して演じる。そうすると、お客さんが変わっても、その情報の違いを上手く扱えるようになる。でも180度変わっただけで、やっていることは一緒ですね。この圧力だから次こうだとか。そのために自分の飛びやすいところとか、必ず繋がらないところを確認する。それらって自分の思考に無い、所謂外部情報なので。そして、それらを繋げるための物理的な法則をつけて、その法則自体を覚えることにする。それが音のつながりだとか、動きだとか、さっき言った内部に固定されたものたちとか。

 

– その瞬間は、自分を見ている自分がいるみたいな感覚なのですか

 

太田 そうですね。冷静に俺を見ている俺がいる感じです。

 

– それは青年団の時もそうなのですか

 

太田 他の役者さんがそうだったという話を聞いたことはあります。ただ、俺はどちらかといえば自分がノリたいタイプの役者でした。でも語りをやっている時はもう一人自分を作っている気がします。大概台詞が飛ぶ時は、客観的な自分がいなくて慌てちゃっている時。だからそんな別の自分を増やしたいとは思っています。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 太田さんにとってそんな語りの経験は、他の現場での演技にどんな影響を与えたのでしょうか

 

太田 実は具体的にここが変わったみたいなものは無くて。ただ、「語らせろ」って欲望が強くなった気がしますね。今はシェイクスピアを早くやりたい。本気で語ることをしたい。芝居というか、語るのがとにかく楽しい。お客さんに向かって決まった言葉を、さも決まってないかのように語りかける事が。それでお客さんが自分に語りかけられているって思ってくれる事が。そんな時どこかに北叟笑んでいる自分がいるのです。そんなお客さんをどうやって一人でも増やすかばかり考えていて。だからアドリブとか全然やりたく無くて。自分がアドリブをしてしまうことは、逆に舞台を貧してしまう感じがします。何か、カスカスに痩せ細ってしまうみたいな。アドリブって、役者が役者の言葉を喋ることでしか無くて、そこにストレスや負荷がないから、俺が喋る内容の方ばかりを重視しちゃうのです。そうすると、何か言葉じゃない、キャラみたいなものしか膨らまない。それよりも、言葉を七転八倒しながら覚えて喋る方が分厚いって感じています。俺の中でそれがすごく明確にあるのです。例えば若い時、もしくは若い人って簡単に台詞を覚えられるけど、台詞が上手くなく聞こえてしまう事が多くて。それは技術が無いって問題ではなく、簡単に覚えられるからこそ、簡単に出せてしまうことが原因なような気がしていて。ただ歳をとってセリフ覚えに苦労するようになった時、逆にその苦労が出し方のルートを教えてくれるように感じることがあります。精神論とかじゃなくて。本当はもっと具体的な感覚なのですが、まだ今適した言葉を探している最中ですね。台本の読解ではないです。役者が読解して、それを見せてしまうこともまた、良い作品を作る邪魔になってしまう気がしていますね。

 

– それは例えば、ある種純度の低いままでしか覚えられないから、逆にそこにあるノイズが豊かに効いてくるみたいな感覚でしょうか

 

太田 ノイズは大事ですね。後、感覚的にいえば、「覚えるために色々考えていると、喋る理由が見つかる」、みたいなことですね。

 

– その時の目線ってどこにあるのですか。おそらくそれはキャラクターの目線(読解)ではないと思うのですが

 

太田 それは自分自身ですね。自分が喋りたい理由。ここから先は大きく分かれると思うのですが、俺は台詞をただ言いさえすれば結構演技になると思っています。台詞を言わずに、この人はこうみたいな役作りをするのは演技じゃないと思っていて。もちろん役作りで成功する役者はいます。でも俺の中では役作りよりも普通に喋る方が、いい台本だと役作れると思っていて。勝手にその台詞を言えばキャラが生まれるっていうか、キャラになるっていうか。それが根底にあります。

 

– その時は、誰か別のものになっているという自覚みたいなものはないのですか

 

太田 難しいのですが、喜びって点で言えば、何かになるって感覚は寿命が短いと感じていますね。でも、される感覚というか、見ている人に、勝手に誰かになっているように思われることって、すごく楽しくて。好きなように思ってもらえる状態。青年団の時もそうで。俺はニコニコしているけど、泣けてしょうがないみたいな。何かになっている感覚が無いわけじゃないのですが、完全になることで作れる役者は、限られた人しかいないと思っていまして。また、みんながそれを目指すとつまんないと思った時期もありました。そんな時から、舞台に関して言えば、特別な人しかできない演技じゃなくて、もうちょっと一般的な方法論があるはずだって思い続けています。数多ある天才たちが辞めていった後自分が残ってやり続けている意味わからなさに、どこか理由をつけたい感じですね。

 

– 具体的に舞台上ではどういう処理を行っているのでしょうか。話を聞いていると、例えば「ただ立つ」みたいなことを理想にしているのかなとも思えたのですが

 

太田 「ただ立つ」みたいなことはまたちょっと違う気がします。数年前、知り合いの演出家から「太田さん突き詰めると仙人みたいにリーディングしながら旅をするような人になりたいのですか」って言われたことがありまして。役者の台詞の発し方に対してすごくしつこいころがあるからなのですが。ふと今そのこと思い出して、考えてみたのですが、やっぱり俺は「ただいる/立つ」じゃなくて喋りたいんですよね。そこには、喋ることが、つまり言葉がツールとして楽って感覚があって。最低限のツールが台詞というか。

 

– それはフランス語でもですか

 

太田 そう。買い物も行けないような状況だったにもかかわらず。むしろフランス語でやったからっていうのもありますね。ほぼ知らない言葉でもそう思うのだから、日本語でこれを試したいって思って。ただ、そんな中フランスと日本を行ったり来たりしているうちに、あれちょっと待てと。日本語で喋れている気になっているだけじゃないかって思いまして。そうなると、言葉がすごく便利だけど、すごく手強いツールに思えてきまして。そして、そう感じるってことは、俺が一番使いたいツールなのだなって自覚しました。ありがたいことにこれまでずっと喋りたいと思い続けている。だからもっと、言葉や喋ることについて突き詰めたいのですね。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 今回6人で同じ物語を語ることについてどう思っていますか

 

太田 俺がお客さんなら全部見たいですね。凄く楽しそうですし。同じ言葉なのに違うルートで進んでいる。それがどういくのだろうって、目が離せないです。しかも面白いことに、同じ言葉であることは、同じ役であることとは全然違っていて。もちろんお知り合いの方の回を見るって感じかとは思いますが、できればもう一本、違う人の語りを聞いてほしいですね。びっくりすると思います。もちろんお客さんの中で向き不向きはあるのだと思いますが、実は自分は意外と一人芝居を見られる/聞けるってことに気がついていない人もいると思いますし。知り合いが見にきた時、「太田さん、ただ喋っていただけですよね」という感想をくれて。でもそれが面白かったらしくて。全然芝居なんか見ない人だったのに。そのその後別の芝居を見た時、1時間半で終わったから休憩だと思ったらしくてさ。「今日の芝居って全然短いですね」って言っていましたね。

 

– 最後に、太田さんにとって、台詞は「音」ですか

 

太田 「音」がなんなのかって話もありますよね。歌ではない。でも正解の音というのは確かにある気がしていて。そこに「意味」で6割は近づける。でも他にもいろんな要素があります。声量、音階など。危険だなって思ったのが、台詞を音だっていうことが、意味なく台詞を謡っちゃうことだと思われることで。それをトレースすればいいみたいな。でも俺らの言っている音って、絶対トレース出来ないものなのです。ヒントはあげられるのだけど、その人にしか答えは出ない。フランスで音をトレースしようとして、でも最終的に出来ないってわかって。自分の中で勝手な意味がノイズになって入ってきちゃって。音を出し続ける動力源って結局は自分の思考なので、そちらを整え、音に繋げないと出来なかったのです。結局、台詞を音として出すって、音それ自体じゃなくて、自分の中身と出す音の間を埋める、思考のピースも含めて音なのだと思います。例えば、演出に言われたようにやるだけの役者は良くないと思っています。演出とそれを実行する間には必ずピースがあって、それを俳優は自分で探さなきゃならない。音を探す旅は、結局それと同じですね。音の場合はそれが意味(理解ではない)、音階、声量、圧みたいなもので。それは言語が違っても同じだと思います。意味で取りすぎて逆に行く場合も多々あって。キレながら言ったら「それだよ」みたいなこともあって。その音は全然再現性ない。でもそれを埋めて再現出来るようにするのが、俺たちの仕事なのだと思っていますね。

 

 

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[1] RoMTと太田宏が初めて上演した1人語り公演。マシュー・ダンスター作 近藤強翻訳。 2010年初演

[2] 2007年青年団国際交流プロジェクトの一環として制作された作品。主宰である平田オリザによって書かれた戯曲を仏訳し、フランス人演出家ロラン・グットマンが演出。東京とフランス6都市で上演された