【blog】戯曲との出会いについて
なんとなく、ブログっぽいことを書いていこうと思いました。
ちょっとした心境の変化です。どういうことでそんな変化が起きたのか、よくわかりません。具体的な理由のひとつは、たぶんホームページをリニューアルしたことなんですけど、うーん、もうちょっと根本的なことのような気がする。
まあ、とりあえず、ちょいちょい思うことを思うがままに書いていこうかなあと思っております。
で、今日は最初ということで、、、現在稽古中の作品、ガリー・マクネアの戯曲『ギャンブラーのための終活入門』との出会いについて。
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この戯曲との出会いは、ちょうど1年前のことです。
2015年の夏の終わり、初めてエディンバラ・フェスティバルを訪問しました。8日間の滞在で合計35公演に足を運んだ、ものすごく濃い1週間だったんですが、『A Gambler’s Guide to Dying(ギャンブラーのための終活入門)』はそのときに観た35公演のうちの1つでした。改めて確認してみると、観たのが8月25日。今回の公演の初日が8月27日なので、ちょうど1年前と言って差し支えないかと。
会場は、トラヴァース劇場(Traverse Theatre)。
トラヴァースじたい超素敵な劇場です。2つの常設の空間があり、どちらもとても独特な空気感のある空間で、併設されてるバーがまた素敵。特にフェスティバル期間中は「トラヴァースで芝居観たい」というだけでも、エディンバラを訪れる価値が十分にあるかも。1日のうちに2つの空間で6つぐらいのプロダクションが観られるし、他のフリンジの上演作と比べると全体的な質が高いし(面白いかどうかはまた別の問題ですが)、何より上演されるのは新作ばかり。常にそこから「New Voices」が聞こえてくる楽しさは他に代え難いものがあります。
『A Gambler’s Guide to Dying』は、戯曲を書いたガリー・マクネア(Gary McNair)本人が演じる一人芝居で、上演時間は60分ほど。エディンバラに行く前、滞在中はできるだけたくさんの一人芝居を観たいぞ!と思っていて、この作品も事前にチェックして、あらかじめちゃんと予約を入れておいたもののひとつでした。
興奮するほど強烈な体験だったか?と言われたら、必ずしもそうでもない。
というか、そういうタイプの作品・上演ではないと思いました。頭から「俺の話を聞いてくれ!」と押し付けてくるようなスタイルではなく(そういうタイプの一人芝居もエディンバラにいて何本か観たし、そういう上演に共通して言えるのは、まあ総じて面白くなかったよね、ってことだったんだけれども)、どこか遠慮がちに始まり、ガリー演じる“語り手”は、ただ真摯に「ものを語る」。
誰かがものを語り、誰かである私たちがそれを聞く。それだけがある。
やがてそこに共有される喜びが混じってくる。一緒に見守ってる、感じがする。
そんなとても丁寧で、あたたかな手触りの残る作品でした。
で。
観終わった直後、カーテンコールが終わって客電が点いたとき、真っ先に考えたのは、
「次にRoMTで一人芝居をやるとしたら、これだろうなぁ」
ということでした。
ちなみに、その次に考えたのは、「日本で誰かこういう戯曲を書いてくれないかぁ」、でした。
・・・これはいまでもそう思ってるんだけど。
劇場からホワイエに出て真っ先に戯曲を購入。そのあと同じ日の公演の合間に、そして宿に戻ってから、ざっと戯曲に目を通しました。スコットランド訛りはなかなかに強烈で、だからすべてを聞き取って理解できていたわけではなくて。「あ、なるほど、あそこはそう言ってたのか」とか「こういう構造だったのね」とか、いろいろなことを考えて。
でもまあ、短期間に35公演観ると、中には強烈な刺激となるものもたくさんあって、それは良い意味であることも悪い意味であることも両方あるわけなんですが、『A Gambler’s Guide to Dying』は、エディンバラ滞在中にはついつい思い出すのが後になりがちでした。そもそも、これを観た同じ日、同じトラヴァース劇場で観た2つの作品があまりにも良かった。その2つは結局滞在中に観た自分的《5 Best Shows》に挙げちゃうぐらいのもので。桜や椿や紫陽花を前にしたときに、タンポポのことをつい忘れてしまう感じ。
ところが、滞在を終えて帰国してからというもの、案の定、『A Gambler’s Guide to Dying』はしぶとく印象に残ってて、細かい瞬間をじわじわ思い出してはそれに気づいてはっとする、みたいなことが時々あったわけです。で、やっぱり「一人芝居をやるんだったら、次はこれだよな」と思ってました。
秋の終わりには「これ来年度に上演の可能性があるぞ」ということになって、小畑克典さんに連絡を取って翻訳をお願いすることになり、今年4月の終わりに翻訳があがって来て、太田宏に読んでもらって、「こりゃやるしかないでしょ」ということになって、そこから上演のための具体的な準備が始まりました。
2015年の夏、エディンバラに行って、知らないことを具体的に知る、というたくさんの経験をしてきて、それらはゆっくりとじっくりと自分のなかで何かを形成している途中なんだろうな、という感覚がいまもずっとあります。でもエディンバラに行ったことで、とても具体的に直接的にかつ即効性をもって自分の表現活動に影響し、動き始めたことが2つありました。
ひとつは《Spoken Word/スポークン・ワード》っていうパフォーマンス・スタイル。これは去年の段階で大学の授業でも取り上げてみたし、今年3月に学内公演で上演した『いつかのわたしたちのはなし』はスポークン・ワードのアプローチで構成した作品だったし、今後も何らかの形で継続してやっていきたいと思ってること。
そしてもうひとつが、今回RoMTの新作として上演する『ギャンブラーのための終活入門』です。この作品に取り組むことで「一人芝居でできることを拡げる」という感覚があります。逆に言えば、実際に稽古を始めてみて実感するのは、この作品はかなり手強いぞ、ということ。RoMTで前回取り上げた一人芝居『ここからは山がみえる』は、上演時間が3時間っていうボリュームが何よりも大変だったわけですが、それでも今思えば、ストレートで上演しやすい作品だったんだな、と。『ギャンブラーのための終活入門』は“視点”の振り幅がとても大きいし、かなり細かい。
つまり、ああ、これは確実に「次のステップ」だな、と。
エディンバラで感じた「次にRoMTで一人芝居をやるとしたら、これだろうなぁ」っていうのは、今まで蓄積してきたものをなぞってできる作品だって意味ではなく、これまでの活動の延長線上にあり、しかしいままでの経験だけでは通用しない、次の段階の相当に困難なチャレンジになる作品だぞ、という意味だったんだなぁ、、、などと、いまさらながら理解したところ。
というわけで『ギャンブラーのための終活入門』は、RoMTとして、確実に新しいチャレンジです。
どうぞお楽しみに。
(田野)